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  <title>仏教ルネサンスを考える</title>
  <tagline>…それで私の、あなたの不運・不幸は解決するのでしょうか？　その答えは経典の中にあります。亜発句斎の師・半覚斎のブログがe-BOOK化、８月18日発売！</tagline> 
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  <modified>2010-03-16T22:13:09</modified>
  <entry>
  <title>『法華経』のハイライト</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417023.html" /> 
  <issued>2007-09-26T22:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【414】<br />
<br />
と、まあこういうことは言ってもしょうがないことでして、何故ならそれが『この世界』というものですから。<br />
ここで、じっくり唱えてみることです。<br />
『なんまらはんかくさい、なんまらはんかくさい、なんまらはんかくさい』<br />
そして振り出しに戻りましょう。<br />
登ってきたはずの螺旋階段。<br />
あなたはいきなり気付くはずです。<br />
「あれ、この光景はいつか見たはずだ」<br />
そうです。登っているというのは巧妙に仕組まれたトリックです。<br />
あなたは結局同じ高さをゆっくりまわっているだけ。<br />
『法華経』のハイライト、如来寿量品まできましたので、もうこれ以後、だらだら二十八章まで続ける必要もないでしょう。<br />
明日からはまた新たな形で。<br />
�<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
<br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>すべての人が馬鹿にされている</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417021.html" /> 
  <issued>2007-09-26T20:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【413】<br />
<br />
半覚斎が居並ぶ宗教関係者を、小馬鹿にしているのではありません。<br />
宗教関係者によって、すべての人が馬鹿にされているのです。<br />
そうじゃないのなら、自分達のやっていること、教えていることの明確な根拠を明らかにして、判断を仰ぐべきです。<br />
仏とは何か？<br />
仏教とは何か？<br />
それさえ誰も知らないじゃないですか。<br />
�<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>ほいほい</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417020.html" /> 
  <issued>2007-09-26T18:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【412】<br />
<br />
それを教えるのが、宗教家、宗教団体、僧侶、教祖、そういった人であるはずですが、この人たちが、さとりを求めさせない張本人では、では、どうやって人はさとりにたどり着けますか？<br />
釈迦は神格化して祭り上げたまま埃まみれ。釈迦の弟子はこき下ろされ、釈迦の教えは改竄する。自分では何ひとつわからないままに、人にもわからないように細工する。<br />
仏教のいきつく果て、極東の島国で、何が起こっていますか？<br />
「なむみょうほうれんげきょう」と唱えなさい。<br />
「なむあみだぶつ」と唱えなさい。<br />
それで救われる。余計なことを考えるな。<br />
真言を唱える。護摩をたく。<br />
悪霊退散。五穀豊穣。国家安泰。坊主丸儲け。宗教法人無税。ほいほい、と。<br />
�<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>仕方のない部分があります</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417018.html" /> 
  <issued>2007-09-26T16:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【411】<br />
<br />
さとりを人に求めさせない人とはどういう人ですか？<br />
宗教家。宗教団体。僧侶。教祖。いっぱいいますね。<br />
さとりを求めない人の方は、ある意味仕方のない部分があります。<br />
知らないのですから。<br />
�<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>さとりを人に求めさせない人</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417017.html" /> 
  <issued>2007-09-26T14:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【410】<br />
<br />
『法華経』のこの部分がもし言われるとおりのものであるなら、これが説かれたとたん、なにもかもぶち壊しになります。<br />
半覚斎は不思議でなりません。<br />
どうしてそんなことがわからないのか？<br />
みんな揃って思考停止になったのでしょうか？<br />
さとりを求めない人がいます。<br />
さとりを人に求めさせない人がいます。<br />
�<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>【如来寿量品第十六】</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417016.html" /> 
  <issued>2007-09-26T12:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【409】<br />
<br />
【如来寿量品第十六】<br />
この一章こそ、釈尊出世の本懐、一切衆生成仏得道の真実義である。<br />
寿量品が説かれたことによって釈迦仏法はすべて簡潔するのである。<br />
寿量品は釈迦一代五十年の説法の完結編であり、生命であり、眼目である。<br />
前品で、弥勒菩薩が大衆を代表して疑念を釈尊に問うたので、まず釈尊は「如来の誠諦の語を信解すべし」と三誡する。弥勒の三請により、さらに重誡し「如来秘密神通之力」を説き、広く開近顕遠し、断疑生信するのである。<br />
全体は法説、譬説、偈頌の三段に分けられ、法説では久遠の本地を開顕し、譬説では良医の喩えが説かれる。<br />
「実はね、仏は永遠の生命があるんだよ」<br />
「ほう、それじゃ、その辺に仏はうじゃうじゃいるんだな？」<br />
「え？そんなこと言ってないでしょ」<br />
「だって、この前ひとり過去の仏を連れてきたみたいだけど、その前の仏だっているんだろうし、あんたそもそも代々の仏と言ってきたんだよ。みんな永遠の生命を持っているわけだ」<br />
「いや、それは実はみんな私なんです」<br />
「ほう、この前まであんた、さとりを開いたって大騒ぎしてたじゃない。じゃ何かい？すでに仏だったあんたが王族の身分を捨てて苦行していたって言うのかい？」<br />
「だから、それは方便だって言ってるじゃないですか」<br />
「ひとつだけ言っておこう。あんたはただの大法螺吹きだ」<br />
「それは人にこの教えを理解させるためにやったことですから」<br />
「おいおい、仏の力ってものはたいしたことがないんだな。あんたが消しても消しても、苦は消えないってことなんだな？何せ、永遠にそれを繰り返しているとなると」<br />
「いや、それはそのときの衆生、そのときの衆生と、それぞれ別ですから」<br />
「じゃ、聞くが、生命とは何だ？生・老・病・死の四苦から逃れたら、生命はどうなる？」<br />
�<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>そういうことをおかしいとは思わないの？</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417015.html" /> 
  <issued>2007-09-26T10:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【408】<br />
<br />
仏の永遠の生命が説かれる。それこそは、『法華経』の核心部分。<br />
そういう話を聞いたことはありませんか？<br />
困ったものです。<br />
情けない話です。<br />
いい年をした人として、そういうことをおかしいとは思わないのでしょうか？<br />
それが宗教というものだ？<br />
はいはい。<br />
じゃ、また明日。<br />
�<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>『永遠の生命』</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417013.html" /> 
  <issued>2007-09-26T08:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【407】<br />
<br />
誰でも彼でも、さとりを求める人が菩薩ではありません。<br />
過去仏、空中の塔、竜の娘あたりまでは、菩薩は納得しています。<br />
納得していいのか？<br />
まあ、そもそも仏というものがわからないのだし、空想上のものを現実化できるのかもしれないなあ、とでも思ったのでしょうか？<br />
しかし、今度はそうはいきません。人が地中から涌いて出てくるのです。しかもぞろぞろと。<br />
さすがに、それはないだろう、と菩薩は思うわけです。<br />
菩薩、すなわち人の立場の釈迦です。<br />
それまでの空想上のものとは違って、そうなると話がややこしくなります。<br />
弥勒菩薩は「父若く子老ゆ」の喩えで釈迦に説明をせまっています。<br />
地中から涌き出た人の設定が、今さとりを開いた釈迦と整合しないではないか？<br />
そういうことです。<br />
さあ、これを説明するには『時』という意味をあらたに考え直さなければなりません。<br />
いくら印度の人が、『時』というものにアバウトであっても、親子の年齢が逆などということを、はい、そうですか、とすますわけはありません。<br />
そしてついに、例の話に突き進んでいくのです。<br />
仏というものは、永遠の生命をもつのだ、というあれです。<br />
それが、次の『如来寿量品』です。<br />
いろいろな空想の中で、これほどポピュラーで、これほど普遍的なものは、他にはありません。<br />
『永遠の生命』<br />
なんと魅惑的な響きでしょう。<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>【従地涌出品第十五】</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417012.html" /> 
  <issued>2007-09-26T06:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【406】<br />
<br />
【従地涌出品第十五】<br />
この品の前半では、大菩薩衆が此土娑婆世界の弘経を請うが、釈尊は許さず、大地を破って上行などの四菩薩を上首とした菩薩衆を召して涌出させるのである。<br />
下方涌出の菩薩は三十二相を具し、しかも多数であることに此土の菩薩は疑念を起こし、弥勒菩薩が請を結び、なお他土の菩薩衆も疑念を生じ、十方分身の諸仏がおさえる。<br />
後半は大衆の疑念を代表して弥勒が請うたので、いよいよ釈尊の遠寿を顕わそうとする。<br />
そして略開近顕遠を説き、動執生疑するのである。<br />
その中で弥勒は「願わくは今、解説を為せ」として、ついに寿量品が説かれることになるのである。<br />
いよいよ大変なことになっています。<br />
以前、この場面を半覚斎は、過去の仏、空中の塔、竜の娘などではおさまらず、ついに人間を地中から湧き出させてしまった、と表現しました。<br />
仏とは何か？に迷い、仏の立場として何ができ、何をどうすればいいのか？さとりによって、仏の立場を持つべき人となった釈迦の頭の中に渦巻く頓珍漢な仏観。<br />
過去仏や空中の塔、竜の娘などは明らかに空想上のもの。<br />
それでは説得力がないと思ったか、ついに人を地中から涌き出させてしまいます。<br />
もちろんそれも空想の中の話。<br />
そうなったとして、それに合理的な説明が付けられるかどうか？<br />
仏というもの、何ができ、何をしなければならないのか？何をするのが仏なのか？人の中に生じた仏の立場は、もともとの人の立場と、どういう折り合いを付けていけばいいのか？<br />
仏の立場を得る以前の、人の立場が菩薩です。<br />
これは繰り返しになりますが、『さとりを得た人の、さとりを得る以前の人の立場が、菩薩です。』<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>時系列が混乱している</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417011.html" /> 
  <issued>2007-09-25T22:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【405】<br />
<br />
この間の釈迦の煩悶が、何故後に成文化されるにいたったのか？<br />
釈迦にとっては、この過程は瞑想のうちに行なわれるべきものだろう。<br />
だが、そうはならなかった。<br />
では、どの時点で釈迦はこのような煩悶の中にいたのだろう？<br />
さとりを得た直後からである。<br />
さとりを得て、仏の立場が整理され、納得できるまでである。<br />
何故釈迦は、この煩悶の過程を自身の内に収めておかなかったのだろう？<br />
これは、さとりを得たあとの揺り戻しのようなものである。ようやくさとりにたどり着いたにしても、これを超えなければ、すべてを無にしてしまうのだ。<br />
さとりを得たと言っても、人の立場に変わりはない。<br />
釈迦は、揺り戻しの中で検討した事例を、弟子達に示したのだろう。<br />
このような誤った考えが次々と浮かんでくる、ということで。<br />
さとりを求めよ、との釈迦の説法は、この煩悶を乗り越えた後に言われたことである。<br />
あの「方便品」で言われる『仏としての自覚にたって』が、それを示している。<br />
『仏としての自覚にたって、迷いを断ち、瞑想から立ち上がって方便品が説かれた』<br />
こうしてみると、時系列が混乱していることがわかる。<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
<br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>【安楽行品第十四】</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417010.html" /> 
  <issued>2007-09-25T20:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【404】<br />
<br />
【安楽行品第十四】<br />
これは法華経四要品のひとつである。<br />
「方便品」の理により、この「安楽行」を修し、「寿量品」の仏果を感ずるのであり、「普門品」ではその働きを述べるのである。<br />
声聞が娑婆を恐れ、他土の弘経を誓うものだから、文殊菩薩は、濁悪世で安楽に妙法蓮華経を修行する方法を問い、釈尊はこれに対して、身・口・意・誓願を説く。<br />
(中略)<br />
なお、四安楽行を説いた後、「この法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり、諸経中に於いて、最も其の上に在り」と説かれている。<br />
ここまでの問答を振り返ってみると、釈迦の答えはうねるようにあちらへ飛び、こちらへ戻る。内容的にも、現実的なものから奇想天外なものまで、その振幅が非常に大きい。<br />
半覚斎は『法華経』第二期成立分について、全然こむずかしい理屈を考えていない。<br />
釈迦はさとりを得たが、それをどう考えたらいいのか、どう使えばいいのかを迷った。<br />
さとりによる仏の立場というものに確信を持てなかった。<br />
その迷いの過程においては、自身との対話がなされる。<br />
自身との対話と言っても、それまでの人の立場と、新たに獲得しようとしている仏の立場での問答である。<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
<br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>どんどん不気味なものになっていく</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417009.html" /> 
  <issued>2007-09-25T18:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【403】<br />
<br />
さて、それでは『法華経』第二期成立分とは、何なのか？<br />
第一期成立分とは違い、これは弟子に説くのではなく、菩薩との問答になっています。<br />
菩薩とは、何ですか？<br />
これほどわかりやすく尋ねているのだから、すぐに答えは出ますね？<br />
よくある懸賞のようなもの。答えはすぐ上に書いてある、というものと同じです。<br />
それがわかったなら、では『法華経』第二期成立分とは何ですか？<br />
今まで信じてきたことと、無理にすり合わせを試みても無駄ですよ。どんどん不気味なものになっていくだけですよ。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
<br />
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<br />半覚斎観時種無料版<br />
  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>いつでも反論をどうぞ</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417008.html" /> 
  <issued>2007-09-25T16:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【402】<br />
<br />
もう一度『菩薩』という言葉の意味を書きます。<br />
『菩薩とは、さとりを得た者の、そのさとりに到達する以前の状態を表わす呼び名である』<br />
これに異議のある方は、いつでも反論をどうぞ。<br />
このブログは、そのためにいつでもコメント欄を開放しています。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
<br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>単純で明らかな言葉の定義を、勝手に覆す</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417007.html" /> 
  <issued>2007-09-25T14:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【402】<br />
<br />
いや、大乗での『菩薩』とは、小乗のいう『菩薩』とは別物なのだ。<br />
おや、そうなんですか？<br />
それは都合の良い理屈ですね。<br />
じゃ、どう違うのですか？<br />
いつの時点からそうなったのですか？<br />
それは誰が決めたのですか？<br />
あまりのでたらめさに、これまで半覚斎は、しばしば感情的に大乗否定、菩薩排斥を叫んできたきらいがあります。<br />
これだけ単純で明らかな言葉の定義を、勝手に覆すことのできる神経を、半覚斎は容認できないからです。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
<br />
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  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>菩薩主導の社会改革運動</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417006.html" /> 
  <issued>2007-09-25T12:00:59+09:00</issued> 
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  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【401】<br />
<br />
その対告衆である『菩薩』についてです。<br />
ボーデイーサットヴァとは、『さとりを求める者』の意味です。<br />
では、さとりを求める者は菩薩か？<br />
そんなわけはありませんね？<br />
大乗菩薩の皆さんが、よーく知っているように、もしそうだとすると、釈迦の弟子達、大乗菩薩の皆さんの宿敵は、みんな菩薩です。正真正銘の菩薩ですね？<br />
なにせ、さとりを求めて修行していた方々です。<br />
これほどはっきりしたことはありません。<br />
ここに大きな問題があります。<br />
『菩薩とは、さとりを得た者の、そのさとりに到達する以前の状態を表わす呼び名である』<br />
これが『菩薩』です。<br />
これ以外に『菩薩』という存在は、ありません。<br />
こんな簡単なことなのです。<br />
こんなことが理解できていないのです。<br />
何故これが大きな問題であるか、わかりますね？<br />
大乗仏教運動とは、『菩薩主導の社会改革運動』です。<br />
どうなりますか？これ。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>理解のしようがありません</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417005.html" /> 
  <issued>2007-09-25T10:00:59+09:00</issued> 
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  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【400】<br />
<br />
半覚斎はそれでも、これに近い何かがあったからこそ、こういう部分が後世、意図的に『法華経』に付け加えられたのだろう、という考え方をします。<br />
半覚斎は、ある意味『法華経』の強信者なのです。<br />
半覚斎は、どこまでも仏教を大切に思っているのです。<br />
これを逆説と捉える人もいるでしょうが。<br />
さて、『菩薩』について書いておきます。<br />
天台から日蓮へ連なる解釈では、『法華経』を前半・後半に分けるのですが、『法華経』成立史でも述べたように、第一期成立分は、現存する『法華経』の中では、二章から九章。したがって序章から十四章までをひとくくりにするのは、おかしな話です。<br />
その内容が、どれだけ旧来のものに関連付けたものか、というより、明らかにその形態が異なっていることの方が、わかりやすいでしょう。<br />
第一期成立分は、釈迦が弟子を集めて説いたもの。<br />
それ以外は、釈迦と菩薩との問答になっています。<br />
これほど明らかに違うものを一括りにできる神経は、半覚斎には理解のしようがありません。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
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  </content>
  </entry>
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  <title>【勧持品第十三】</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417004.html" /> 
  <issued>2007-09-25T08:00:59+09:00</issued> 
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  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【399】<br />
<br />
【勧持品第十三】<br />
ここでは宝塔品での『法華経』の釈迦滅後の付嘱に応じて、菩薩はこの土に、そのほかの僧、修行者は他土に弘経することを誓願する。<br />
しかし釈尊は黙然として八十億那由佗の菩薩を見て弘経を勧め、これらの菩薩は十方世界の弘通を発誓し、釈尊の守護を乞う。<br />
これじゃ、何を言っているのか全くわかりません。とにかく、大乗経典としては、弘経は菩薩の占有事項にしたかった。なにがなんでも、そうしたかったのでしょう。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
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  </p>
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  <title>【提婆達多品第十二】</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417003.html" /> 
  <issued>2007-09-25T06:00:59+09:00</issued> 
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  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【398】<br />
<br />
【提婆達多品第十二】<br />
法師品、宝塔品が、功徳の深重をあげて流通を勧めたのに対し、かつての提婆と釈尊との関係から、功徳の深重を証し、流通を勧める。<br />
まず、釈尊が一千年にわたり給仕した阿私仙人が、今の提婆達多である、とし、この聖者が業因感果の理を示すため自ら五逆の姿を示し、地獄に堕ちたが妙法の功力によって、天王如来の記別を受けたとする。<br />
次に、智積菩薩の問いにより、文殊菩薩の海中の弘経のありさまを説き、舎利弗の疑問によって、八歳の竜女の即身成仏を示す。<br />
法師品では、善人成仏を明かしたが、この品では悪人と女人の成仏を説き、宝塔品では、釈迦・多宝の二仏並座は、一切衆生の色身が本有の境智を顕わすことから、理性の即身成仏を説いたのであるが、ここでは地獄の提婆達多と、海中から出た畜生である竜女の成仏を説いたのであるから、事相の即身成仏を説かれたのである。<br />
『法華経』成立史に、ごく簡単にこう書かれている。<br />
「法華経は、現在二十八章から成るが、その中の提婆達多品第十二は、天台あたりから見えてくるので、したがってもともとは二十七章である。」<br />
おやおや、この章はメイド・イン・チャイナだったのか？<br />
それとも、こういう経文を見つけてきて紛れ込ませたのか？<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>判断はあくまで常識によってする</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417002.html" /> 
  <issued>2007-09-24T22:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
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  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【397】<br />
<br />
おっと、口がすべった。<br />
もし、そう思わない人がいるなら、その人は異常だ、に戻る。<br />
異常なのか、意図があるのかのふたつに絞ろう。<br />
この際、異常な方を考えてもしかたがない。<br />
では、そこに意図があるからだ。<br />
意図的に『法華経』に、釈迦の逡巡の過程が加えられたのだ。<br />
それは相当の切れ者だろう。<br />
さとりを説く教えの後に、さとりを得てからの逡巡の過程を並べ、全体の意味を変えてしまうようなことのできる者は、なかなかいない。<br />
ここから先の章について、同じ形で書いていくが、判断はあくまで常識によってすること。<br />
何が出てきても、そのまま信じ込んでしまうなら、これを読む意味はない。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
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  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>異常なものを信じるのが宗教？</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10417000.html" /> 
  <issued>2007-09-24T20:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【396】<br />
<br />
地中から宝塔が出現した？<br />
その中に過去仏の多宝如来がいて、釈迦の説法を「真実である」と叫んだ？<br />
人々が空中に移動した？<br />
何ですか？それ。<br />
もし、そう思わない人がいるなら、その人は異常だ。<br />
異常なものを信じるのが宗教だと思っているのなら、鰯の頭でも拝んでいなさい。<br />
臭くて誰も近寄らないだろうが、本人はあまりのありがたさに人が近寄ることさえできない、とでも言うだろう。<br />
そういうすさまじい勘違いで、宗教は成り立つことがある。<br />
それにごもっともな屁理屈をつける者も現れる。<br />
宗教は金になる。<br />
働かずに金になることなら、すぐに利用することを考える輩はうじゃうじゃいる。<br />
おまけに尊敬すらされるのだ。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>荒唐無稽、奇想天外な物語</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10416997.html" /> 
  <issued>2007-09-24T18:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【395】<br />
<br />
十章から先の部分(さらに第三期の創作は除く)の各章で表わされることとは、人の立場をもとに、仏というものを思い描くとどうなるのか？ということの典型であり、それは荒唐無稽、奇想天外な物語である。<br />
そういうことを考えたのは誰なのか？<br />
釈迦である。<br />
これは、さとりを得た釈迦の、煩悶する過程なのだ。<br />
仏とは何か？どういうものなのか？何ができるのか？どうすればいいのか？<br />
どうすれば、仏の立場を確立できるのか？<br />
そして、自分の中の、人としての立場と仏としての立場を、どうやって並立させればいいのか？<br />
十章から、後半部分のハイライトであると言われる十六章へと、それは次々と、しかもどんどん妙な方向へ突き進んでいく。<br />
これを考えたのは、釈迦である。<br />
釈迦以外に、人の立場、仏の立場で揺れ動く者はいないのだから。<br />
釈迦はこれを考える過程で、周囲の者にその時々の仮説を話した。それがこのような形で残されたものと半覚斎は考える。<br />
さとりへの道筋を説く、本来の『法華経』のあとに、さとりを得た後の釈迦の煩悶の部分が繋がるのは、間違いではない。<br />
確かに流れはそうなのだ。<br />
だが、『法華経』という経典として一括で残されるような内容のものではない。<br />
『法華経』が不可解な経典であるというのは、元来『法華経』に加えられるはずのない釈迦の仮説が、そう理解されずに、しかも本来の『法華経』を改竄してまで一並びにまとめられてしまったからである。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>【見宝塔品第十一】</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10416993.html" /> 
  <issued>2007-09-24T16:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【394】<br />
<br />
【見宝塔品第十一】<br />
法師品と同じく弘経の功徳深重を説いて流通を勧めるうち、七宝の塔が大地から涌出して虚空に住在する。<br />
まず、宝塔の中から大音声があって、(塔内の多宝如来が)みなこれ真実、と称歎したのに人々は驚き、大楽説菩薩が問いを発する。<br />
釈迦の答えに続き、十方の分身仏を召し、塔内に二仏並座した上で、神通力をもって人々を虚空に置く。<br />
この品では、多宝塔の出現に、証前起後の深旨があるのである。<br />
証前とは、塔中から多宝如来が大音声をもって「所説の如きは皆是真実」と証したことからいい、また起後とは後の本門寿量品を起こすための遠序である。<br />
また品末には、六難九易が示される。<br />
なぜ半覚斎が、本来『法華経』ではないという部分を、わざわざ、しかも日蓮正宗の解説付きで書いているのかといえば、この部分の加えられた意図が、これによって証明できるからだ。<br />
だが、半覚斎は、これが全く釈迦とは縁もゆかりもないこととは考えていない。<br />
釈迦の説法の中に、このような誤解を与えかねないものがあった、というのが半覚斎の考えである。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>あなたは、ここにいるはずがない</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10416991.html" /> 
  <issued>2007-09-24T14:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【393】<br />
<br />
「釈迦は人として死んだ」<br />
それであれば釈迦は成仏したわけではありません。<br />
仏はいなかったのです。<br />
また、いたはずがないのです。<br />
仏がいた、すなわち仏となるべき人が成仏したのなら『この世界』はそこで『空』へと回帰しています。<br />
今、苦の中にいるあなたは、ここにいるはずがないのです。<br />
<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>導かれてしまったものは、何もない</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10416989.html" /> 
  <issued>2007-09-24T12:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【393】<br />
<br />
『いっさいの生きるものを永遠の平安の境地へと導いたにしても、永遠の平安の境地へと導かれたものは、何もない』<br />
求道者は如何なる修行をするべきか？との問いの答えは、『いっさいの生きるものを永遠の平安の境地へと導こうという考えを持たなければならない』でした。<br />
その言葉に続いて上の『何もない』の言葉が続きます。<br />
この謎のような言葉の意味は、『般若心経』がわかれば理解できることです。<br />
『般若心経』を理解するには、半覚斎の『意味と認識』を読むこと。<br />
どの解説書にも、こういう説明は書かれていません。<br />
では、『導かれたものは、何もない』とはどういうことを言っているのでしょうか？<br />
これが『空』ということです。<br />
『空』は何度も書いてきたことですが、軽々しく扱うべきものではありません。<br />
ただわからないのならまだしも、わかったつもりでいると、おおきな間違いを犯します。<br />
『空』とは、仏の立場にたつことによって、初めて意味がわかることです。<br />
成仏と死の混同は、人の立場で『この世界』を見ているから起こる問題です。人にはそういう考え方しか持てないし、また『この世界』では、成仏とは前代未聞のできごとです。<br />
つまり、それは言い表しようがない事態です。<br />
言い表すどころか、そんなことをしている状況ではありません。<br />
なにせ成仏ですから。<br />
誓願の成就ですから。<br />
いっさいの生きるものが永遠の平安の境地へと導かれてしまったのですから。<br />
そして、導かれてしまったものは、何もないのですから。<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>仏の出現の目的</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10416987.html" /> 
  <issued>2007-09-24T10:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【392】<br />
<br />
仏の出現の目的とは何だったでしょう。<br />
誓願の達成。<br />
たったそれだけです。<br />
それ以外に仏が出現する理由はありません。<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>人としての死</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10416984.html" /> 
  <issued>2007-09-24T08:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【391】<br />
<br />
「釈迦は人として死んだ」<br />
「釈迦は人の意味のまま死を迎えた」<br />
「釈迦は死を迎えてもまだ人の立場を超えられなかった」<br />
これはどういうことなのか。<br />
『法華経』序章に、「完全に肉体を終えたブッダたち」という表現があります。また「心身を余すところなく滅した完全なさとりの境地」という表現があります。<br />
もちろん、後世の作ですからそれは正確な意味では捉えられていません。<br />
「仏は、最高の法(法華経)を説き終えると、脂のきれた松明のように燃え尽きるものである」という書かれ方になっています。<br />
半覚斎が聞いた説明では、まるで薪が燃え尽きて、炭も残らず白い灰になり、ふっとその灰も形を失ってしまうような状態。これが成仏(仏となること)であるというものでした。<br />
これらの言い方は、人としての死から離れたものではありません。<br />
死を成仏という意味の混乱は、今に始まったことではない、ということです。<br />
この混乱の原因はどこにあるのかというと、どの立場にたって『この世界』を見るのか、という問題なのです。<br />
序章の言葉、「完全に肉体を終えたブッダたち」「心身を余すところなく滅した完全なさとりの境地」という表現には、成仏の意味がかなり正確に込められているのですが、その前後の文章を読むと、正確なのはこの短い二言だけで、結局成仏は死と混同されているのがわかります。<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>では何のためにこの教えは『法華経』という形でここにあるのだ？</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10416983.html" /> 
  <issued>2007-09-24T06:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【390】<br />
<br />
釈迦は明らかに、人として没する。<br />
それは成仏ではあり得ない。<br />
人としての意味のまま死を迎えたのであれば、仏ではないのだ。<br />
やっかいと言えば、これほどやっかいなことはない。<br />
これは何重もの意味が複層となっているのだ。<br />
一切を方便と言い切れる者は、たったひとりしかいない。<br />
それ以外の者に、この仕組みは理解できないだろう。<br />
では何のためにこの教えは『法華経』という形でここにあるのだ？<br />
<br />
出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
<br />
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  </p>
  </content>
  </entry>
  <entry>
  <title>誓願達成の最期の段階</title> 
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ahokkusai.noblog.net/blog/a/10416982.html" /> 
  <issued>2007-09-23T22:00:59+09:00</issued> 
  <summary></summary> 
  <dc:subject></dc:subject>
  <content type="application/xhtml+xml">
  <p xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
		新しい仏教の粋【389】<br />
<br />
仏とは、いっさいの生きるものを永遠の平安へと導く、という誓願達成の最期の段階である。<br />
仏は、そうであれば成仏すなわち誓願達成の瞬間に初めて姿を現わし、同じ瞬間に『この世界』とともに姿を消す。<br />
仏となるべき人はいたのだが、その人が仏になる、ということは、人としての立場が意味をもたなくなる、ということなのだ。<br />
さとりを得て、そこからの修行をしてきたという釈迦が、これを知らないわけはない。<br />
これはいささかやっかいな問題であると同時に、とても簡単なことでもある。<br />
釈迦が『この世界』の仏であったなら、今『この世界』があるはずはないのだ。<br />
ということは、釈迦は仏ではない。<br />
では何だ？<br />
『仏であったという釈迦』、その全体が方便なのだ。<br />
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出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  <title>釈迦は成仏をしなかったことになる</title> 
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		新しい仏教の粋【388】<br />
<br />
さて、釈迦滅後についてであるが、釈迦ははたして滅後の弘教について、このようなものを残すだろうか？<br />
『仏伝』においては、釈迦はこう遺言を残したことになっている。<br />
「教えと戒律とが汝らの師となるだろう。諸々の事象は過ぎ去るものである。努力して修行を完成しなさい。」<br />
だとするなら釈迦は、人としての死に際して、いまだ仏とはいかなるものかを知らないことになる。<br />
実際は、まわりにいる者達が、仏の意味を理解しなかったから、こういうことが残されたのだが、もしそうであれば、釈迦は成仏をしなかったことになる。<br />
これはいささかやっかいな問題なのだ。<br />
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出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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  <title>『法師品』</title> 
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		新しい仏教の粋【387】<br />
<br />
【法師品第十】<br />
法師品は次の宝塔品とともに、釈尊みずから弘経の功徳深重を説いて、流通を勧められているのである。<br />
特に法師品では、この経の弘通を勧導して末法の弘経の人法と、弘経の方軌を示されている。<br />
法師とは、妙法を弘通する大師で、五種の人がよく妙法を弘通するのである。<br />
五種とは、受持、読、誦、解説、書写。<br />
「末法において、一人のためにも妙法蓮華経を説く者は、如来の使なり、如来の所遣として如来の事を行ずるなり」と示されている。<br />
次いで所持の法を、法、人、処、因、果に約して歎美し、高原に井戸を掘る譬えを説かれる。<br />
弘経の方軌に、衣、座、室の三軌を「如来滅後にこの法華経を説かんと欲せば、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して説くべし。室とは一切衆生の中の大慈悲心、衣とは柔和忍辱の心、座とは一切法空」と説かれている。<br />
のだそうです。<br />
釈迦滅後には、こういう人が、こういうふうに『法華経』を広めなさい、というのが『法師品』である。<br />
それだけのことだ。<br />
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出典／<br />半覚斎観時種<br /><br />
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